Sudbury Schools インタビュー

クラス

○アンソニー・ビューリク(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

 学校で"クラス(授業)" を作るというのは、公式の手続きなんだ。一枚の紙に「僕はこのことに興味があるから、同じ興味をもつ人はいませんか?」と書いておく。そうしたら「ウン、僕は算数を習いたい」「僕は図工」「僕は料理」と言う二、三人の生徒が出てくるかもしれない。そうやってクラスを作る話は進んでいく。次には、自分の学びたいことに関する専門知識を持つスタッフや他の生徒を見つけたり、専門知識のある人が学校にいなかったら誰かを外で見つけていく。そうやってクラスの話は進んでいくんだ。 

 

*同じ興味や関心をもつ人たちが集まり、講師に教わる。教わることは音楽や教科からスポーツまで多岐にわたる。講師にはスタッフや生徒がなることもあれば、外部の専門家を招くこともある。

 

○デヴィッド・シュナイダー-ジョセフ(卒業生 グリーンウッド・サドベリー・スクール)

 ほとんどの人はクラス(授業)に時間は使わないよ。僕の場合は、サドベリー・バレーにいたときに、一日に一つのクラス(授業)だったかな。歴史の講義で、スタッフの一人が定期的にしゃべっていた。

 

 他のクラス(授業)もあったと思うよ。誰かが何かの目的でそのクラス(授業)を作ることにしたんだと思う。

 

 いくつかクラス(授業)が行われていても、それはテストや成績表がある既存の学校の授業のような形をとらないんだ。僕がいたサドベリーでは、講義をする人がひとりいて他の人たちが質問したり、インフォーマルな議論が行われたりしていた。

 

○アンソニー・ビューリク(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

 僕たちの学校では、クラス(授業)は学校の中で大きな位置を占めてこなかった。この一年だと定期的に開かれたクラスは4つか5つだったかな。通年じゃないよ、一定期間でね。僕たちの学校ではクラスができるようになってからまだそんなに日が経っていないんだ。子どもやコミュニティ全体がインフォーマルな学びに入り込んでいるからね。だから何か実際にするのはいつもインフォーマルだったんだ。個人的に学ぶにしても、友達と一緒に学ぶにしても、スタッフと一対一で学ぶにしてもね。

 

 今年度は去年よりクラス(授業)が増えると思うよ。クラス(授業)っていうのはサドベリー・スクールの発展の一部だし、重要な要素と言えるかもしれないね。別のサドベリー・スクールに行ったら、そこではつねに学校の決めたクラスが開かれている。そこでみんなが学ぼうとしているし、クラス(授業)は子どもたちがそれを通して学びたいと思っているやり方なんだ。そうやってたくさんのクラスがつくられていくし、子どもたちはクラス(授業)にいつも出席しているんだ。

 

○キャシー・ブラッドフォード(10才、生徒、プレイン・セイジ・サドベリー・スクール)

  うーん、クラス(授業)が開かれることってあまりないけど、行われるのはマンツーマンのクラスが多い。陶器クラスや、スタッフが開くクラ(授業)スや、お金の計算をする算数や、美術クラスや。スタッフメンバーがクラス(授業)を開くことはあるけど、それは彼らがそれをしたいから。

 

○アンソニー・ビューリク(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

  クラス(授業)っていうのは一つの可能性だということを子どもたちが理解し知ることが大切なんだ。子どもたちの多くはパブリックスクールやトラディショナルスクールから来ているから、そこでは当然のようにいつもクラス(授業)に出ている。一日中クラス(授業)ばっかり。そんな彼らが例えば僕たちの学校のようなところに来ると、クラス(授業)に出る必要がないことに彼らは興奮するんだ。こんなふうにね。「学校にいたときはいつもクラス(授業)に出てたけど、嫌いだった。今は僕は全然クラス(授業)に出る必要のない学校に来ているからクラス(授業)に出るつもりはないよ」。それは子どもたちの決めたことだし、それでいいんだ。

 

 でも、たとえクラス(授業)がなくても、自分の望むクラスを自分で企画することができるっていうことを子どもたちは分かっている。そう感じることは彼らにとってとても重要だし、彼らが何かをするときの動機づけになるんだ。何かに本当に真剣になったら、例えば数学を学びたくなったり、大工を学びたくなったら、自分から学ぶことができるって彼らは心得ているんだよ。それは、他人の後についていくだけよりもよっぽど大切だ。したいことを自分はできる。クラス(授業)を作りたくなれば作ることができる。他の人にもクラスに出てもらったら、それはいいことだよね。スタッフ・メンバーに手伝ってもらったら、それもいいことだよ。

 

○ベン・シェパード(17才 ブルービン・サドベリー・デモクラティック・センター・オブ・ラーニング)

  数学についてわかっている必要があると思っていたときが僕にもあったし、しばらくの間やってみたんだ。僕とスタッフの1対1でね。でも、何の意味があるのか結局分からなかった。学校の生徒のようには行かなかったよ。

 

○アンソニー・ビューリク(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

  サドベリー・スクールのいいところは、子どもがいつでもクラス(授業)を企画できるところだ。個人でもグループでも「このことについて学びたい」「クラス(授業)を作りたい」って言い出すんだ。

 

○エヴリン・ハーデスティ(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

  今年私の妹は二つのクラス(授業)を企画したの。署名用紙を興味をもっている生徒たちに向けて張り出して。一つのクラス(授業)ではスタッフに教えてもらえるよう調整して、もう一つのケースでは教会で演奏している音楽家にギターを弾きに来てもらうように動いたの。それを見ていて、パブリックスクールにいるときだったら彼女がそんなことするなんて信じられないって思ったわ。

 

○アンソニー・ビューリク(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

  僕たちはある事柄についてスクールでおしゃべりするんだ。お昼を食べながらとかミーティングの後とかグラウンドなんかでね。その会話にはスタッフも混じっているころもあるんだけど、そこからの流れでクラス(授業)が作られる。人がその様子を見たら、「そんなことが起きるのはスタッフが関わっているからだ。子どもは関係ない」って言うかもしれない。そんなとき僕は「そうだね、スタッフと生徒のおしゃべりもあれば、生徒たちのグループと一人のスタッフとのおしゃべりもあるし、スタッフのグループと一人の生徒とのおしゃべりもあるよ」ってね。そこからの大きな流れでクラスができるんだ。

 

○ロミー・ピットマン(スタッフ フェアヘイヴン・スクール)

  今年はたくさんの人がクラス(授業)を作っていたわ。私も自分の時間の3分の1は教えていた。多分私が一番教えていたんじゃないかしら。

 

 

Q: 自分の時間のうちどのくらいのを教えるのに使うのが普通?

  20%ぐらい。それも、人が何をクラス(授業)とみなすのかによるわ。何を“教えている”とみなすのかにね。ちゃんと教える環境が整えられている場合は、生徒が来て「歴史を学びたい」って言って、教室で机について、クラス(授業)が行われる。

 

 それに対して、私がコンピュータをしているときに5才の子が私の膝にのってきて「私読み方知ってるわ。その文字は“the”ね。そっちは“cat”ね」て言って「その通りね」って私が言ったりする。「じゃあこれは何て言うか知ってる?」って別の文字を指したり。そうやって文字や読み方についておしゃべりして彼女は言葉についてちょっとしたことを学ぶの。そのうち彼女も退屈になって、膝から飛び降りて、向こうに行く。このとき私たちは読みの授業をしていたのかしら?わからないわ。でも彼女は何かを学んだし、私は何かを教えた。それは正式なクラス(授業)の設定ではなかったけれど。

 

○ゲール・フリードマン(スタッフ フェアヘイブン・スクール)

 実際、そういうクラス(授業)って正式なクラス(授業)よりも多いと思う。それって有機的に生じるもの。人は学校の中であればどこにいてもいいから、学校のどこにいても教えたり学んだりする機会がある。おしゃべりしていても美術室にいてもね。「僕はこののこぎりを使うんだ」て言う人もいるけど、彼らは一度もそれを使ったことがない。そういうときは教えてあげないとだめだわ!

 

○アンソニー・ビューリク(スタッフ ディアブロ・バレー・スクール)

  僕たちの学校に来ている人たちは、クラス(授業)がたくさんあるかどうかなんて気にしないんだ。彼らが気に入っているのは、誰でもクラス(授業)を始めることができて、生徒とスタッフや教える人たちが興味をもっているかぎりは一週間・一ヶ月・一年・三年と続けることができる。世の中の人々はクラスと学びを同じものと思っているから、「クラス(授業)というのは生徒が勉強するところ」「もし生徒がクラス(授業)に行かないのなら、彼らは学んでいない」という。でも僕たちの学校では、インフォーマルな学びがどこでも行われていて、それが僕たちの学校の中心的な学びの経験になっているんだ。もし人がインフォーマルな学びも学びであると認めるなら、それは教室で勉強するのと同じなんだ。サドベリー・スクールでは生徒たちもそれで満足するし、彼らの家族も満足なんだ。

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